ARTISAN&ARTIST* LMB-MC
復刻シープスキンケースの真実

ARTISAN&ARTIST* LMB-MC

アルティザン・アンド・アーティストからシープスキン製ライカMケースLMB-MCが登場する。同社はかつて、フィルムライカ向けにシープスキンケースLMB-234を販売していた。これをライカMタイプ240向けにリメイクしたのが本製品だ。LMB-234はライカ用ケースの中ではちょっとしたレジェンドだったので、「幻のシープスキンケースがライカMで復刻!」と一部のマニアにはテンション高めで受け入れられることだろう。

 

LMB-MCはアルティザン・アンド・アーティストと写真家澤村徹のコラボレーションで生み出された。底面に銀泊でダブルネームが施されている。

LMB-MCの製品化の経緯は、玄光社「オールドレンズ・ライフ2017-2018」に詳しいレポートがある。そちらを参照してほしい。ここではLMB-MCのとある事情について、ピンポイントで論じてみたい。実はこのケース、液晶モニターを隠すというタブーをやらかしているのだ。

 

シープスキンという特殊なマテリアルを使うため、あえて液晶を塞ぐことに。隠すことで開かれる世界もある。

シープスキンはとてもやわらかく、しかも伸びやすい。そのため液晶モニターに合わせて穴を開けるスタイルが事実上不可能だ。フィルムカメラは背面に何もなく、背面を覆ってもなんら問題ない。かつてのLMB-234が成立したのは、フィルムライカ用だったからだ。しかし、デジタルカメラ向けケースの素材として、シープスキンはあまりにセンシティブなのだ。

カメラケースがカメラの機能性を損なうのは、まさに本末転倒だ。ただし、本家ライカ社から液晶モニターのないデジタルM型ライカ、ライカM-Dが発売され、液晶をあえて封印することへのコンセンサスは得られている。あとは、液晶を覆うことで、何かしらのアドバンテージを提供できるか否かだ。

液晶をケースで隠すと、ライブビューと撮影後のプレビューは使用不可だ。レンジファインダーが唯一のモニタリング環境となり、好むと好まざると、ファインダーに集中せざるを得ない。精密なフレーミングは望めないため、常に保険をかけた撮り方になる。ベストアングルよりやや広めに撮ったり、構図を上下左右にズラして複数枚押えたり、複数回シャッターが切れる状況なら、できるだけたくさん撮るようになる。ファインダー像=撮影像とはならないため、常に頭の中で色々なことを組み立てながら撮っていく。

 

Leica M[Typ 240]+ Summicron 35mmF2 RF 絞り優先AE F4 1/180秒 ISO200 AWB RAW レンジファインダーに専念するのであれば、画角と被写界深度の両面で、やはり35ミリレンズが使いやすい。

一方、予知能力の覚醒も必要だ。これはけっして大げさに言っているわけではない。目の前の光景を撮るのではなく、これから目の前で起こるであろう光景を思い描き、それに備えてカメラを構えておく。たとえば被写界深度を稼ぎ、不意のシャッターチャンスに備える。速いシャッタースピードで動く被写体を待つ。まさにニュータイプのごとく予知能力を発揮し、撮影に挑むわけだ。見たものを撮るのではない。撮りたい光景を待つのだ。

 

Leica M[Typ 240]+ Summicron 35mmF2 RF 絞り優先AE F5.6 1/4000秒 ISO200 AWB RAW ゴーストやフレアは、レンジファインダーだと正確に把握できない。撮影者のニュータイプ特性が試させる瞬間だ。
Leica M[Typ 240]+ Summicron 35mmF2 RF 絞り優先AE F5.6 1/750秒 ISO200 AWB RAW 35ミリレンズなら、F5.6まで絞ればかなり被写界深度が稼げる。レンジファインダーオンリーはこうした工夫が楽しい。

液晶を見ないと、自ずと視神経が研ぎ澄まされる。このヒリつく感覚、アンドゥー・リドゥーに慣れたデジタル世代には堪えるだろう。一切リテイクの効かない世界だ。鋭敏でなくては切り抜けられない。だからといって、その鋭敏さが撮影の歩留まりと比例するわけではない。これがまた厳しい現実だ。ただし、ひとつだけ断言しよう。LMB-MCを装着すると、誰もが撮影に対してストイックな気持ちになれる。幾百年の風化の果て、硬い岩肌だけが残るような、そんな撮影に対しての強い心が結実する。ケースで液晶を隠すことは、けっしてデメリットではない。強い撮影マインドを手に入れるプレミアチケットだ。

 

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