七工匠 7artisans 50mm F1.1
非日常は5万円で手に入る
ノクチルックスやノクトニッコールの例を持ち出すまでもなく、大口径レンズは高価なものだ。しかも「死ぬまでに一度は我が物にしたいなあ」と、つい遠い目になるほど高価だ。買いたいけど買えないレンズ、筆頭ナンバーワンである。だからこそ、新興メーカーには挑み甲斐のあるカテゴリーだ。深圳の光学メーカー七工匠が、7artisans 50mm F1.1で大きな賭に出た。
2017年6月、ライカ系情報サイトに7artisans 50mm F1.1の情報が載るや否や、世界中のライカファンが騒然とした。50ミリF1.1というノクチルックスを彷彿させるスペックを備え、その価格はわずか5万円前後。しかも距離計連動可能なライカMマウントを採用する。安価な大口径レンズをプアマンズノクチと称することがあるが、あまりの価格差にプアマンズという言葉ですら物足りない。なにしろ本家ノクチルックスの1/20以下の値段でF1.1が手に入るのだ。
さてこのレンズ、日本でもアマゾン経由で早々に買える状態になった。販売代理店によると、ファーストロットは1ヶ月足らずで完売したらしい。ただ、この時点の商品はどうも並行輸入品のようで、サポート面がどうなるのか一抹の不安があった。無論、基本的にはわかっている人向けの商品なのだが。そうした中、焦点工房が販売代理店として動き出すと聞き(原稿執筆時、販売開始時期は未定)、同社経由で7artisans 50mm F1.1を借りることができた。正規代理店経由での購入ならば、万が一のトラブルも安心というものだ。
7artisans 50mm F1.1がここまで話題になったのは、やはり距離計連動に尽きるだろう。大口径で距離計連動対応はけっこうなインパクトだ。とは言え、純正レンズのような精密な距離計連動は期待しづらい。実際、試写した個体も前ピンだった。ただし、ここで七工匠は見事な開き直りを見せる。どうせ正確には連動しないから、自分で調整してくれと言うのだ。パッケージには距離計連動調整用チャートと精密ドライバーが付属し、これで所有するM型ライカに合わせて調整する。日本メーカーならばクレーム必至の仕様だが、なにしろ5万円前後のレンズだ、さして腹も立たない。どのみちF1.1の開放ジャスピンはライブビューでないと狙えないので、実用上問題ないといったところか。距離計連動でありながら、その精度が問われないというめずらしいスタンスのレンズだ。
このレンズが登場して早々、画質についてのネット上での評判はそれほどでもなかった。良くも悪くも価格相応、というのが大半の意見だ。特に「開放はちょっとね」というネガティブな意見が多かった。ここでオールドレンズ好きの血が騒ぐ。ちゃんとした人々の「ちょっとね」という評価は、オールドレンズ好きにとって優等生である可能性が高いからだ。
予想は当たった。開放は大いに暴れる。背景にも寄るが、四隅が外側に流れ、そこにF1.1ならではの大きなボケがかぶさる。複雑に暴れる様はクセ玉好きの琴線に触れるだろう。合焦部の線は細く、開放では輪郭が上品に滲む。絞り込めが滲みは消え、ディフューズ感を絞りでコントロールできる。無論、単に暴れるからいいというのではない。開放の繊細なタッチを、絞り込んでもキープしている。よく暴れる。が、暴れるだけではない。メーカーがどこまで意図したかはわからないが、かなりおもしろいレンズに仕上がっている。
かつて、中一光学からSpeedmaster 50mm F0.95というソニーEマウントの大口径レンズが登場した。F0.95が10万円で買えると話題になったレンズだ。中一光学と言い、七工匠と言い、高くて当たり前の大口径レンズだからこそ、圧倒的な安価で攻めてくる。もちろん、価格の差は性能の差だ。7ArtisansやSpeedmasterが、ノクチのような高描写を実現するわけではない。ただし、高描写がノクチの絶対的アドバンテージとも言い切れないのが難しいところだ。
大口径標準レンズの魅力とは何か。開放時の大きなボケ、暗所での高速シャッターなど、色々な利点があるだろう。ただ、突き詰めていくと、日常を非日常に変える装置、これに尽きると思う。見慣れた光景が、大胆な描写によって姿を変える。再現性よりも表現力をレンズに求めるとき、大口径標準レンズのアドバンテージは目を見張るものがある。日常と非日常の距離、これが大きければ大きいほど、表現力が増す。であるならば、大口径標準レンズに必要なのは、果たして高描写なのか。むしろ、描写の非日常性ではないのか。ノクチなんていらない、とやせ我慢する気はない。でも、7artisans 50mm F1.1で開かれる表現世界もあるはずだ。
七工匠光電技術
7artisans 50mm F1.1(焦点工房)